役の行者(神変大菩薩)

飛鳥時代から奈良時代の呪術者である石鎚信仰開祖であり役行者が石土山に篭り修行し石土大臣の神意霊験を得て石鎚山を開山された。
葛城山(現在の金剛山・大和葛城山)で山岳修行を行い熊野や大峰の山々で修行を重ね吉野の金峯山で金剛造王大権現を感得し修験道の基礎を築いた行者創始者。

石土蔵王権現

役小角が石鎚山修行の際に荒行で神意を得るにあたり阿陀如来を感得し更なる神意感得されたのが蔵王権現でさる山自体をご神体とする。
また吉野の金峯山でも修行中に示現したという伝承が有名である。
吉野山の蔵王堂には3体の蔵王権現像が本尊として祀られる。
権現とは権(かり)の姿で現れた神仏の意味。

修行大師

行脚姿の立像で現されています。
錫杖と鉄鉢を手に諸国を巡歴された時のお姿です。
弘法大師も若き頃四国巡行の際に石鎚山に登り修行し太平洋を眼下にし宇宙を体得する求聞持法と霊感を感得された「我石峰に登り霊感得るききとして山を下る」。
四国88ヶ所に石鎚神社の西遥拝所となる60番札所横峰寺と64番前神寺など山岳仏教の霊場として祀られた。

大黒・恵比寿

大黒さまと恵比寿さまは共に七福神の一人で大黒さまは豊作の神様で恵比寿さまは漁の神様。 二人あわせて招福・商売繁盛の商い神として古くから民間信仰の対象となり親しまれれています。
境内で多く祀られています。これは先代宮司が当時香春口にて夢知らせにて東の山野(富野)にて恵比寿・大黒が舞いを舞ったことに由来しています。

おかかえ地蔵

地の蔵と称されるごとく大地が全ての命を育む力を蔵するよう苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み救うところから名付けられる。
一般的には「子供の守り神」として信じられております。
おかかえ地蔵さまは願いを込めておかかえします。軽く感じられたら届くが重たいと願いが重いとされます。ひとつの願いでお試しください。

みろく石

石は何かしら重く感じます。祠の四面は格子となっており片手のみが入る箇所より石に触れたり持ち上げたりすることができます。
祠の中が上下二段になっていて下の段から上での段へと片手で石をあげます。
男性は左手、女性は右手で上げることが出来れば願いが叶うとか、また願いの軽いものは簡単に上がり逆に願いの重い者は上がらないとも言われています。
しかしお本来はみろく石に触れることによって弥勒菩薩と結縁を結ぶというのが本当のところとされています。

故 須堯義幸 初代宮司管長銅像

九州石鎚大権現社の創始者であります。
他界され役員 信者一同の賛同により銅像委員会発足し銅像建立計画がされました。同時に安置場所の増築も行われました。

神馬奉納

平成2年の午の年に年男の和光会(信者の会)より神馬奉納の要望があり賛同された皆様より奉納されました。
新馬の意味は雨を願う時は黒毛の馬を、晴れを願う時は白毛の馬をそれぞれ献納するという記述があり中世のぶ氏は戦争での勝利を祈願し新馬を奉納した。
古くからの神社の中に「新馬舎」「神厩舎」が馬の存在如何を問わずに設置されている所があるのは、新馬の風習の名残である。

正一位稲荷

ここは各遥拝所 各家で祀る事が出来なくなってしまった御神体をお祀りしてます。
そのご縁があってから当社では京都伏見稲荷の千本鳥居に鳥居奉納させていただいています。